異年齢交流
–なかよし通信2006年夏季Vol.3に寄せた文です。
※なお、ホームページ向けに一部を改訂しています。
さて、今年のクラブはどうだったでしょうか。子どもたちは楽しめたでしょうか。イベントや遠足の感想はどうだったでしょうか。行き先の内容が、難し過ぎてわからなかったでしょうか。それとも簡単過ぎてつまらなかったでしょうか。それぞれだと思います。
低学年と高学年とでは、知識・理解力・体力などに大きな差があります。特に3年生くらいを境に顕著になってくるようで、その差は幼児と低学年との差よりも大きいと思います。遊んでいるときや自由に展示物を眺めるときなど、子どもたちには、同じような成長度の仲間と行動する傾向があります。話も通じやすいし、各種行動時の効率もよいので、しごく当然なことと思います。
しかし、本クラブでは原則として、低学年も高学年も一緒に行動しています。博物館での展示内容や、プラネタリウムの番組などは、たいてい「幼児~低学年向け」「小学3年生以上向け」「高学年以上向け」と、その対象を学齢で絞っています。知識教授型の教育効果が高いためでしょう。ひとつの集団として行動する場合、どうしても低学年に合わせざるを得ないことが多いものですから、特に高学年になると少々退屈なこともあったかもしれません。(もちろん、逆に高学年がちょうどよく、低学年にはサッパリというケースもあります。)
こんなとき、学齢別に分けて行動や体験をさせるという方法もありますが、敢えてそれは避けるようにしていました。なぜなら、本クラブのような小規模学童保育所の最大の強みは、「異年齢交流」を子どもたちが全日程を通じて経験できるという点にあるからです。
いま、学校や塾は、教育効果をあげるために何をしていますか。学齢や、極端な場合には個別の能力で教育環境を分けています。確かに知識教授という面においては効果が高いでしょう。しかし、このような効率重視の教育は、一方で、異なる年齢・異なる能力の者同士の「育ちあい」の機会を、子どもたちから奪っています。前号でも引用した「社会力」(門脇厚司「子どもの社会力」岩波新書、1999)の育成という観点から見れば、私たちはとてつもなく大きな代償を払っている(払ってしまった)と言えます。知識とは、人が安全に、豊かに生きるための道具に過ぎません。知識を建設的かつ正しい方向に活かすのは、もっと別の力です。「社会力」は、そのひとつだと思います。
前号までに述べた「さまざまな経験の機会の提供」と伴に、この「異年齢交流」を、来年度以降の本クラブの柱としていきたいと考えています。

