当園は昭和61年(1986年)に、水戸市で初めてモンテッソーリ教育を導入した保育園です。

研究所である”水戸こどもの家”(モンテの部屋) には、6帖ほどのスペースにコツコツと集めた教具がいっぱいに置かれています。教具の多さには目移りされることでしょう。しかし、モンテ教育の真髄は、教具だけにあるわけでありません。広場の木の枝一本でも、落ちている石ころ一つでも、立派に教具となります。(むしろこちらの方が教具としてふさわしいのかもしれません。)ただ、モンテ教育において、子どもが集中しやすいように仕上げたものがモンテ教具です。
いかに多くの教具を揃えても、子どものために使わなければただの置物ですし、教育者次第でガラクタにもなります。当園の教具についた数々のキズは、実際に子どもたちが使用した証であり、私たちが長い時間をかけてモンテのノウハウを積み重ねた証でもあります。
投稿日 2004年9月17日 | 03. モンテッソーリ教育 | 投稿者 和泉 孝 | コメントは受け付けていません。 |

年中クラスの自由活動で、自分で選んだ教具を使ってそれぞれが自主的に活動しているところです
投稿日 2004年9月17日 | 03. モンテッソーリ教育 | 投稿者 和泉 孝 | コメントは受け付けていません。 |

年少クラスは教師が課題を与える形式で行われます。左の写真は数教育の中の「数字の消却」を学んでいるところです。
投稿日 2004年9月17日 | 03. モンテッソーリ教育 | 投稿者 和泉 孝 | コメントは受け付けていません。 |
マリヤ・モンテッソーリは、ボローニャ貴族の血を引く厳格な家庭に生まれた。国家公務員である父親の意向に逆らい、自力でローマ大学の医学部に進学した。彼女は当時の女性蔑視的環境を克服しつつ、イタリア初の女性医学博士となった。もともとはこのように医師を志していた。卒業後、大学付属精神病院で助手として働く。そんな中で、当時の何一つない部屋に放置されたままの発達遅滞児の行動の中に「食物以上に、自分の手を動かすものを求める」のを見出し、教育者を志すようになったのである。『子どもは「自分で自分を教育する」ものである。』という彼女の教育思想は、この時に端を発している。
やがて彼女は、精神遅滞児教育の成果は健常児教育にも適用できると確信し、1901年に再びローマ大学の哲学科に進学した。哲学科では従来の哲学的な教育思想を学ぶだけでなく、「実証主義的な観点から教育問題を取り扱い、生徒の個人研究に基礎を置き、生理学的・心理学的諸現象の分析」も行い、子どもの教育方法の発見に努めた。
1907年、大都市ローマのスラム街、サン・ロレンツォに「子どもの家」を開き、自らの教育方法を実践した。ここで「子どもの発見」をしたのである。教育とは、大人の考えた方法を子どもに押し付けることではない。子どもはすでに「自らを教育する力」を持っている。子どもが教育を欲する時に応じて適切な環境を与え援助することが教育者の役割であり、その過程こそが教育であるとして、教育方法の研究・体系化を進めた。
2度の大戦や、ドイツ・ナチ政権からの迫害もあったが、それら困難を克服しつつ、世界各地でモンテソーリ教育の普及に努めた。
1952年、モンテッソーリ協会本部が置かれたオランダで82歳の生涯を閉じた。
———参考:市丸成人『改訂:モンテッソーリ教育学入門』学習研究社、1988.4
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